STORY #3
その日も海を見ていた。
この町に来て数日。深瀬が海を眺めることは、当初は焦った心、やり場のない気持ちだけを向ける行為だった。でも今日は、ギターのお兄さんみたいに、ちょっと自分の大切な時間だと思えたことが嬉しくなっていた。
しかし・・・あのばあちゃんは、ものすごく元気だったしお茶目だったな・・
体育座りで抱えた膝をちょっぴり伸ばし、一人、思い出し笑いをしていると、遠くから呼ぶ声がする。
「深瀬くんー」
「あっ、ヨウスケくん」
「ここに居るかなぁ、って思ったんだ!今から工場に行こうよ」
「うん」
「どうしたの、なんだか嬉しそうで」
「ううん、なんでもない、いや、えっと、ありがとね。ヨウスケくんのおかげで、この町にまだ居ていいんだなって思えているんだ」
「あはは、そんなこと? もちろんだよ」
また深瀬は笑顔になった。そして二人で深呼吸。
初めて駅前から離れて、ヨウスケの車に乗り込んだ。
この町の坂を登ったり降りたりして、ほどなく、大きなお店に併設されたかまぼこ工場が見えてきた。確か駅前テラスの、ビール屋さんの近くにもお店があったことを、深瀬は思い出す。
「かまぼこ屋さん、こんにちは。こちらは、深瀬くんです」
ヨウスケと深瀬はお兄さんに挨拶する。
そして、ヨウスケが小声で耳打ちする。
「お兄さん、あのモノマネ見せて」
すると突然、囲炉裏を温めていたお兄さんの、目の奥に光が差したかと思うと、 振り返りざまに、あの超有名なハリウッド俳優の低音ボイスでの挨拶が降ってきた。
「We――lcome」
「わああー!」
深瀬ははしゃいでしまう。
しかしそれも一瞬のこと、お兄さんは再び静かに、かまぼこの焼き色に目を凝らしている。
隣のテーブルには、すでにいい焼き目のついたかまぼこの横に、チーズや玉ねぎのアソートも並んでいる。さらに隣の小さなテーブルに並ぶのは、山積みの伝票だ。
「たくさんの注文があるんですね」
「うん。お客様の注文がこっち。こっちは、社員に送る伝票」
「えっ? 社員の方達に?」
「そう。ご家族全員にケーキを送るんだ。ほら、冬のお歳暮とか、注文の増える時期は、お休み返上で働いてもらうから、帰宅後、ケーキを囲んでもらう時間があったらなと思ってね」
お兄さんが話すそばから、工場のシフト勤務でたくさんのスタッフさんが出勤してくる。
振り返って、1人ひとりに優しく「おはよう」と声をかけていくお兄さん。
そしてスタッフさんから時折、外国の言葉も聞こえてくる。お兄さんとの挨拶も、日本語だけでなく、アジアの言葉が飛び交い、なんだかちゃんぽんになってきたみたい。
ハリウッドからアジア。ここにも世界を見てるお兄さんが居る。
「時期がひと段落したら、ゆっくり休んでもらうけれどね。社員のみんなが宝だから」
「そうですね、確かに」
焼き目が香ばしいかまぼこをひと口。
ゆっくり、味わってから、一息ついて、深瀬は尋ねてみた。
「お兄さん——お兄さん自身は、お休みできてますか?」
「いや、まあ、ほぼ休んでないよ。でも、社員と、仲間のことを思ったら、『何もしない』『やらない』という選択肢は、ないんだよね。この町に居て、この町が今日あって、この町が明日もある。そのことが、すべてなんだ」
囲炉裏の火がはぜる音だけがして、深瀬はお兄さんの横顔を見ている。
この町が、すべて・・・。
火は小さくなっても、小さな音だけは続いている。
「だから、この町で、深瀬くんと今日出会ったことが」 遠くを見つめるお兄さんの目に、もう一度光が差す。
「I’m SO glad to see——you」
もう一度、低音ボイスが帰ってきた。
帰り道の車で深瀬はヨウスケに尋ねる。
「ねえ、女川の人たちってどうしてこんなに明るいの?みんなこうやってオープンだし」
「嬉しいんだよね。人に会えるってのが」
「確かに、みんな笑顔だね。でも、人に会えるのは、当たり前じゃないんだ?」
「うん。当たり前じゃない。僕のお父さんとお母さんは、海に帰っていったんだ」
「えっ? 海に?」
「うん。3月のあの津波の日は、お母さんの誕生日だったんだ。お母さんは海のそばで働いていて、夜にお祝いをしようって、僕はお小遣いで、お母さんの好きなチーズかまぼこセットを買った時だったの。お父さんは、お母さんが心配で、海まで一目散に迎えに行った。それから、もう、目の前では会えないんだ」
「そう、だったんだ・・・」
「でも僕、海を、好きでいたいんだ。だから、海に僕のお父さんとお母さんが帰っていった後は、海からいつも、2人が見守ってくれてるんだと思ってる」
高台に車を止めた2人は、深い青をたたえた海を眺める。穏やかな空のもと、小さな波だけが今日もきらきらゆらめいていた。
「この町は、海の一部なんだ。この町にいる人も、海に帰っていった人も同じ。目の前で会える人と、心の中で会える人が居るだけ。
そう思ったらね、もうもはや、この町に訪れてくれる深瀬くんみたいな『会える新しい友達』はもう大歓迎ってわけ」
「そうだよね。ばあちゃんも、すぐ声かけてくれた」
「ばあちゃんは、足は早いし踊るし飲むし、すごいパワーだよね! 日没に眠って、日の出に起きて、起きてる時はほぼ走ってるんだって」
「うわあ。女川に住むとあんなパワーが満ちるんだね」
驚いた途端、また1つ、深瀬はくしゃみが出る。
寒いねと笑いながら、2人は車に戻った。
「ねえねえ深瀬くん、明日は僕がいつも居る駅前のスペースに来ない? 明日ね、僕が憧れている人のレクチャーがあるの」
「へえ、レクチャー。大学の講義とは違うの?」
「えっと・・僕は大学のことはあまりわからなくて。高校行った後は、ネットを使ってテクノロジーの勉強をずっとしてたから。僕にとっては、その憧れの人が、先生。勉強だけじゃなくて、いろんな面で、先生」
「そっかあ。じゃあ、僕にとっては、ヨウスケくんが、女川の先生だよ」
「ありがとう。でも、何か照れくさいな。友達、友達がいいよ」
「あはは。そうだね!」
また明日会う約束をして、2人は別れた。
未来ドキュメンタリー Vol.1
【 女川小説 / 女川少年 】
第4章に続く
LOCATION
女川で出会える場所と人
1937年創業の蒲鉾店。地元三陸の新鮮な魚から作られる多彩な味わいが揃う。2017年度天皇賞受賞の御膳蒲鉾「かき」や、季節限定かまぼこも。焼きかまぼこ体験の他、工場見学も可能。ミャンマーにも工場を構える。
FUKASE & YOSUKE at
DAI-ROKU-TEN / 大六天駐車場
高橋正樹さんもお気に入りという展望スポット。女川駅から車で約15分の高台にある。リアス式海岸ならではの山の緑や紅葉、そして空気のクリアな冬には、水平線がくっきりと眺められて美しい。