STORY #5
その日も海を見ていた。寒いけれど、晴れてる。
深呼吸して伸びをして、小さなあくびが出た深瀬の前を、虹色のスニーカー姿のばあちゃんが秒速で走り抜けていく。
「ばあちゃんの、熱は・・」
少し考えて思い当たる。
「復幸男の50年連続の首位奪還なんだろうな・・」
「僕の、熱って・・」
でも、ここで下を向かない。今の僕は、待つことができる。
そんな時は、鼻歌が出ている。
「おお、今日もいい鼻歌だねえ」
鼻歌を聞きつけ、急旋回したばあちゃんが一言囁き、坂道へと再びダッシュしていった。
あはは。この鼻歌、「ばあちゃんの歌」って名付けようかな・・・。
深瀬は挽きたてのコーヒーと、焼き立てクロワッサンの差し入れを、ヨウスケに持っていくことにした。
コワーキングスペースのボルテージはすでに最高潮。向こうにヨウスケくんが居るのが見えた。
「おはよ。今日は頑張って」
「ありがとー。眠れなかったけど、どうにかここまで準備できたよ」
「ヨウスケくんは、そのままでいいよ」
「朝から泣けるなー、友よ」
いよいよ、町内の皆さんへのプレゼンテーションの時間が迫ってくる。
みんなの横顔が見たかった僕は、左の端っこに座ることにした。
ヨウスケくんは何番めかに登場した。
「僕は・・ 自然の声を聞ける翻訳アプリを作りたいんです」
「ほお」
会場が静かな驚きに包まれる。
「僕たちは人間ですが、自然の前に生かされ、自然の恩恵を受けています。海の上に陸地があり、そこで息をして生きているから、全部自然のおかげなんです。
僕たち女川人は、生まれてからずっと、海を見て育ってきました。これからも、自然と、 もっと気持ちを通わせたい。いや、通わなくても、せめて、耳を澄ましたいんです。だから・・・翻訳アプリです」
「それは、誰でも使える、使いやすいものですか?」
会場から声が飛ぶ。
「はい。ただ、使う人の心によって、作動するかどうかが変わるんです」
「え? どういうこと?」
最前列に座っている人たちが、ちょっとだけ面食らった表情になる。
「静かに、耳をすます気持ちや心のある人に、アプリが作動し、声が聞こえます」
「実は、僕の、海に帰っていったお父さんとお母さんも、自然の一部になりました。声を聞かせて欲しい、って、ずっとずっと願っていたら、ある日・・・話しかけてくれたんです。会えないけれど、感じて、声は聞けるんだって思って、その時ほんとに嬉しかった」
開発機を取り出し、ヨウスケくんは静かに胸に当てる。
「だから、みんなにとって、このアプリは・・・そう願う人の、お守りなんです」
「 例えば最近の仮想通貨もそうですが—— ITって、最初にガチガチの決まりがあるのではなく、使う人たち自体が作っていくものだと思います。まだいくらでも、可能性があります。 僕は女川人として、ITは女川の味方になってくれるって信じてます。
だから、今日からこのアプリはみなさんのオープンソースとして、自由に使ってください」
会場がざわめき出す。
一呼吸置いて、ヨウスケくんは目を閉じる。
「また、このアプリは早速、自然界からの待望の声をたくさんいただいています。この声をお聞きください」
会場に開発機を向けると、リズムを持った海の波や、さわさわとそよぐ緑の音がだんだん1つの大きなリズムになって・・・
よく耳を澄ましていくと、だんだん、何かの音に聞こえてきた。ああ、拍手だ。なんだかありがとうを言っているように聞こえる。
会場の皆さんも、息を潜めてその音を聞き。
そして一瞬置いて、静かに拍手のお返しが起きた。
会場の後ろの方では、ばあちゃんがインストールしたアプリに早速耳をすませた瞬間、赤いおかっぱヘアが波打っていた。きっと、交信中なのだろう。
夕方からはこのプレゼンの後夜祭で、ギター屋さんの向かいのクラブに移動。するとスーツを着た大柄な男性がシャウトしてのライブが始まった。
「ヨウスケくん、プレゼンお疲れ様。すごく、よかったあ」
「ありがとう。とりあえず、やりきったよ」
「ところで、あの男性は?」
「あ、町長だよ」
「ああ、確かに!最初に挨拶してたもんね。それにしても気持ちよさそうな歌いっぷり。アプリがなくても交信してるみたいだよ」
「♪ みなさん(ギュイーン)」
「YeaH!」
「♪ 女川は!(ギュイーンギュイーン)」
「YeaH!!!」
「♪ 新しい、スタートが!(ガッガッ)」
「スタートがー!!!」
「♪ 世界一、生まれる、まちー!(テケテケテケテケ)」
「まちー!!!」
会場のみんなの、コールアンドレスポンスが止まない。
町長の後は、テクノからヒップホップ、お兄さんが変わってのDJプレイが続く。
いつだってどこだってこの町には、自然の声と、笑い声と、そして音楽が流れてるよね。すごいなあ。
そして、あっ!どこかで見たことがあると思っていたら、次のDJさんは、この間おじゃました、かまぼこ屋さんだ!
「おう!深瀬くん、この間はありがとね。女川、楽しんでる?」
ビール屋、ギター屋のお兄さんも混じってもう大変なフィーバーだ。一方、プレゼンが終わったヨウスケくんはほっとしたみたいで、このいろんなミクスチャーミュージックの爆音を子守唄にして眠ってしまった。
クラブでの打ち上げは明け方になっても続き、さらに、なんと、翌日の夕方まで続いていた。
その間、深瀬はずっと、夢の中にいるようだった。
音楽が鳴り続けるクラブから抜け出し、ひとり、ビール屋さんへ。
外の風にあたりに、海への道を歩くと、女の子が座っているのが見えた。
ああ、僕が女川に来た日、ビール屋さんの前で、見かけた子だ。
どうしたのかな。女川ホップペールを飲んでちょっとだけ気が大きくなった深瀬は、女の子のそばに寄ってみる。
「ねえ。名前なんていうの?」
「キョウコ」
「もしかして、何か、寂しいことがあったの?」
「・・・ううん、別に」瞳の奥が悲しげに揺れる。
「僕は、深瀬。あだ名は、、あっ、まだないや、えへへ」
「・・・」
深瀬はしばらく考えて、ポケットからスマホを取り出し、キョウコの方に近づける。
すると、アプリから少しだけ音が聞こえてきた。それは、古いピアノの鍵盤をぽんぽんと鳴らす音。しばらく聞いていると、それはある1つの曲のさわりだけ、繰り返し練習しているようにも聞こえてくる。
「わたしの、ピアノ・・・」
「キョウコちゃんの、ピアノ?」
「ずっと、胸にしまっていたの。あの日、海に、このピアノも帰っていったから。でも、この音は、わたしが小さい頃に好きで練習していた曲なの。ドレミのレの鍵盤だけいつも重くて・・・。だからちょっとだけほら、タイミングがずれているでしょう」
キョウコは少しだけ、顔を上げた。
「望めば、この音を、聞くことは、できるんだね」
ふと見れば、月明かりが海辺を照らしていた。
「わたし、ちゃんとピアノが聞こえるんだね。深瀬くん」
しばらく静かな時間が流れる。
そして深瀬は、彼女の横顔をそっと見つめて呟く。
「・・・正直に言わせてね。僕、何かキョウコちゃんが気になってるみたい。もし、よかったら、もうちょっと、話を聞かせて」
そして、キョウコの両手を握っていた。
月明かりの下、まっすぐこちらを見据えたキョウコは、一瞬だけ、深瀬の前で笑う。そして、長い髪を揺らし、背中を向けて走り出す。
「キョウコちゃん!」
深瀬は大声で呼ぶが、キョウコは振り返らない。
月の道の下、小さく、その姿が見えなくなっても、深瀬はそこから動けずに、ただその残像を見つめていた。
未来ドキュメンタリー Vol.1
【 女川小説 / 女川少年 】
第6章に続く