STORY #8
深瀬が人知れず、女川を去った日から、
3年の月日が流れていた。
そして、2021年、春。
この町には変わらず、海風が舞い、元気な街の人が走り抜けていた。
深瀬はその後、ロックバンドのギターボーカルになっていた。
デビュー後ほどなく、スタジアムライブを満席にするほどの人気。
いつも弾いているギターのかっこよさはYouTubeの海外ファンにも話題となり、2019年からはアジアパシフィックツアーも行われるほどだった。
そんな彼が革ジャン姿で、シークレットライブのためにこの町を再訪することになった。ライブは数日前まで極秘だったにもかかわらず、洋介さんの仲間である4人の敏腕たちが段取りを全て整え、会場には各地からのファンたちが駆けつけた。
「深瀬ー!おかえりー!」
町の人たちが深瀬を取り囲む。
「深瀬くーん! 女川凱旋、おめでとー!」
各地からの熱狂的なファンの間では、彼が自分の第2の故郷と語るONAGAWAは聖地となっていた。
ちょうどこの日は、町開きの3月21日と重なり、お祭りがさらに熱を帯びてくる。
深瀬はトレードマークの女川ギターを片手に現れた。
静かに海に向かって一礼後、会場のスタジオへ。
メジャーデビュー曲『迷ってばかりの僕は』のイントロを奏で始める。
ヨウスケが同時中継で配信を始めた瞬間、ONAGAWAの名前も世界に広がる。
「Fukase in ONAGAWA!」
「VIVA!」
「Congratulation!」
コメント欄にも各国からのメッセージが飛ぶ。
「帰ってきました、女川。やっと、僕は、ここに自分の足で立てます」
ファンからの拍手が止まらない。
「迷っているだけの僕を、3年前、この町があったかく包み込んでくれました。この町での1週間は、僕の全てを変えました」
一呼吸置いて、深瀬は目を閉じる。黙って、静かに。
「いや、変えたんじゃない。自分の中の小さな種に、光をくれた。その光だけを信じて、とにかく信じて、今日ここまで歩いてきました」
一瞬の、会場の沈黙の後、ばらばらの拍手が一つになり、止まらなくなる。
「言葉にならない気持ちも、
声にならない叫びも、
毎日たくさん、
たくさんあった。」
「そんな、落ち込みがちで話し下手の僕が、この町でちょっと前を向けた時、自然と歌がこぼれていました。」
「歌は、
僕の
光だったのです」
♪
それが真っ暗闇に思えたとしても、
自分の心の奥にある
自分だけの小さな明かりを
大事に、消さずに進めたら
♪
「大好きな歌とギターと一緒に、今日ここで、大好きなみなさんに会えるなんて、夢みたい。
僕にはいつだって、女川は大きな器だし、離れているときは、とっておきのお守りだよ。 みなさん、本当に、ありがとう」
3時間にわたるライブが終わり、即時配信されたYouTubeの視聴回数は500万回に上った。
ライブの直後、ヨウスケが駆け寄り深瀬を抱きしめた。
彼はヨウスケの名を伏せ、デビュー前から深瀬のIT周りのマネジメントを一手に手がけていたが、深瀬はそれをライブ直前まで一切知らされなかった。
「もう。会いたかったんだから!」
抱きしめたヨウスケの方が笑顔と涙でくしゃくしゃだ。
「深瀬くんが女川を離れた日、もう本当に寂しくて。あの日、深瀬くんの指定席だった、海を眺めるベンチに座って、帰ってきてって願ってた。
だから、ITでマネジメントに協力できると知った時、 我先にとツテをたどって仕事をさせてもらったの。デビュー前からずっとずっと、画面の向こうの深瀬くんを見てたんだよ」
「そうだったんだ・・」
「でも目の前でこうやって、会いたかったの」
「ヨウスケくん・・」
「もう。ずっと寂しかったんだから!」
と言うヨウスケの隣には、アジアからの可愛い留学生が。
「その子は、彼女?」
「うん、いや、まだ彼女じゃないんだけどね。深瀬くんの歌が縁で、女川に来ることになった子なの」
ヨウスケのシャツの裾を引き、彼女は小さくはにかんだ。
そしてライブ後のハイライトである「復幸男」出走直前のばあちゃんがキョウコの手を引き、深瀬に駆け寄ってきた。
ライブ中も、「あの鼻歌がロックになったんじゃ」と、最前列でばあちゃんは大熱狂。キョウコはじっと、深瀬から目を離さなかった。
駆け寄ったキョウコの頰が赤い。
「ほら。キョウコ。ずっと言いたかったんじゃろう」
ばあちゃんは実は、キョウコの祖母だった。
キョウコが走り去ったあの夜ーー
家で熟睡中のばあちゃんの耳元でピアノの曲の話をしたところ、ばあちゃんは飛び起きて熱狂。ばあちゃんは覚えたてのエアギターで、そしてキョウコが机を鍵盤代わりにしたエアピアノで、その後毎日のように、二人は曲を口ずさんでいたという。
ばあちゃんも、キョウコも、心の奥に閉まっていたあの曲の記憶を、笑って取り出せることが嬉しかったのだ。
そしてキョウコはほどなく、仙台から女川に戻り、ふたたび、女川の海を感じながら生活していきたいと思えたのだった。
「あのね、深瀬くん」
「あの日は、小さかったあの頃のピアノが聞けて嬉しくて、胸がいっぱいになって、何も言えなくて。ずっと、ありがとうが言えてないこと、後悔してたんだ」
「キョウコちゃん・・」
「なのに、深瀬くんは、私の元にまた会いに来てくれた。返事をできる日を夢見てたの。ありがとう」
深瀬はまっすぐキョウコの前に立つ。
キョウコは3年ごしに、深瀬の手を握り返した。
深瀬は、海を望めるテラスまで、キョウコの手を引いて歩いた。
実は彼には、キョウコを思った未発表曲があった。
夜空のもと、キョウコが駆け出したあの道に、今日はやさしく陽の光が降り注いでいる。
深瀬はゆっくり、ささやくように、歌った。イントロはもちろん、あのピアノの旋律から始まる——。
♪
ありたい自分であればいい
なりたい自分になればいい
♪
あの日で止まり、ずっと夢見た2人だけの時間が、少しずつ再び流れ出す。
——と思いきや、「復幸男」を貫禄の51勝、首位奪還で終えたばあちゃんが走り込み、深瀬のファンから拍手と歓声が湧き上がる。
そしてばあちゃんのパフォーマンスにも明らかな変化が生じている。キョウコが叫ぶ。
「ばあちゃん!そのギター!」
「Yeah! This is SWOOD Guitar!!!」
51勝の賞品はなんと、ばあちゃんが望んだ最新の女川ギターだった。エアギターをようやく卒業したばあちゃんのシャウトと、深瀬の大合唱。テラスを舞台に、アンコールライブが始まった。もちろんヨウスケの同時配信で、生まれたてのSWOOD Guitarにも各国からのコメントが殺到している──。
突然の訪問だとしても、懐かしいみんなに、こうやって受け入れてもらえる心強さ、そしてお祭り好きの町の人が、今日も居る幸せ。
小さな町・女川はいつだって、大きな大きな熱量の器なのだった。
——その日も、僕らは海を見ていた。
——歌は空を越えて、海の向こうに広がっていく。
——柔らかな風が波間を揺らし、自然からもコールアンドレスポンスのシャワーが降ってくるみたいに。
♪
ありたい自分であればいい
なりたい自分になればいい
心に小さな明かりを灯せば
それがいつか、誰かの心を灯すから
LaLaLa・・
♪
未来ドキュメンタリー Vol.1
【 女川小説 / 女川少年 】
FIN.
LOCATION
女川で出会える場所と人
「町の居間となる交流拠点」として、町内外の人が気軽に立ち寄れる施設。ドラムセット完備の音楽スタジオ2つ、調理室やキッズコーナーのほか、ロビーには女川の町の変遷をたどれる展示も。
Baachan at
「津波が来たら高台に逃げる」という津波避難の基本を伝えるべく、中学生~大人までの老若男女約250人が一斉に坂道を駆け上がるイベント。毎年3月下旬に開かれる「復幸祭」に合わせて参加者を募集している。
何度となく深瀬が歩いた、女川駅から海へとまっすぐに続く道。この左右に広がる、散策が楽しい商店街。蒲鉾店・髙政、お魚いちば おかせいのほか、三陸石鹸工房KURIYAなどを覗きながら、女川生まれのオリジナルなおみやげをぜひ見つけてみよう。