STORY #6
その日も海を見ていた。
手元には、あのピアノの音を鳴らすスマホがある。
どうしちゃったんだろう、僕。ピアノがリフレインするごとに、キョウコちゃんを思い出してしまう。あの一瞬の笑顔が、胸に張り付いて離れないのだ。
「寄せては返す、海の小波と僕の心。よみひとしらず」
ひとりごちたその瞬間。
「深瀬くーん。おっはー」
一気に目が覚めた。ヨウスケくんじゃないか。
「昨日はプレゼンが終わってホッとしちゃって、音楽聴きながら熟睡しちゃった。あれ、何かあったの? 大丈夫?」
「あ、うん、何でもないよ」
「ね、今日も面白いところに連れて行っちゃうよ」
そう、時間はまだ朝6時なのだ。ほぼ僕は眠れていなかったけれど。
「船がたくさんやってくるでしょ? 市場で入札が始まってるよ。行こう」
そう言って走らせた先には、近未来のような建物群が輝いている。
市場も、工場もすごい。
すごいというのは、規模も、中のシステムも、両方とも。
一言で言うと、「もうここは、世界だ」という感覚になれるオーラがあることだ。
昨日、ヨウスケくんも言っていたけれど、陸だけじゃなくて海も女川だし、逆に言うとここはもう、世界のうちの一部なんだ。
近海から採れた新鮮なお魚を、屈強な買受人さんたちが張りのある声でアピール。この町の朝は、戦いで幕をあけるのだ。
サンマ、銀鮭、そして定置網。春には、ホヤと言う赤い球体の海産物も登場するらしい。
この入札、気を抜くと呑み込まれそうに、ヒリヒリした空気に満ちている。が、声をあげていない時は、スマホでずっとお魚の画像をにらめっこ。入札の担当者さんがすぐに、今日のお魚の内容と競り価格を共有できるようになったらしい。
「おっヨウスケ。どうよ今日の調子は? ん? その隣の男前は誰?」
「深瀬と言います。ヨウスケくんの友達です」
「いいねえ。2人揃って女性を泣かせるイケメンだねえ。女川にはイケメンしか居ないからな」
みんなで顔を合わせて笑う。
「僕が開発をお手伝いさせてもらった、このアプリの調子はどうですか」
「おう! 上々だよ。世界に出ていくために、英語版も出してよ」
「はい!」
そんなこんなのうちに、工場の周辺には漁船の代わりに、トラックが続々と到着する。
「何を運ぶんですか? 駅前の食堂? それにしては、車が巨大ですね」
この工場を経営する会社は、僕がいつも海を眺める指定席のベンチの横に、海鮮のお店と食堂を開いている。
「それももちろんだけど、裏の工場で作った加工品を運んでるんだ。こうやって毎日新鮮な魚が届くでしょ? それを、時間を空けずにぎゅうっと急速冷凍すれば、新鮮さが逃げずに、世界に届けられる。そのシステムを数年前に開発したんだ。香港とか、タイにもたくさん届けてるよ」
わあ。事実、もうここは、世界だったんだ。
「でもさ、やっぱり、ここ女川から発信することは止めたくないわけね。自分の町だから」
「で、女川の会社どうしで手を組んで、一緒に発信していこう、というのがこの新しい会社、事業体なの。
自分が動くことで、町に血液が流れ出す。そのポンプみたいなイメージで、循環させるのがいいんだよね。血液はね、隅々まで循環させた方がいいじゃない?」
深瀬は思わず心臓に手を当てる。
「しかも、ドキドキしたいわけ」
「やっぱり商売だから、仕掛けて、様子見て、また修正して仕掛けてね。簡単じゃないし、365日ずっと朝から戦いだ。
だけど、攻めないと何も始まらない。世界すべてが相手だと思えば、もう止まってはいられないよね」
深瀬は尋ねる。
「お兄さんは、仕事・・って、何だと思いますか?」
「そうね、まあ、仕事と生きることはもう切り離せないかな。仕事でも、生きることも、ドキドキしたいし、相手に返したいし、ま、人によって違うと思うけれど、心に答えはありそうな気がするなあ。ほら、女性と同じだよ!」
急に深瀬はドキドキしてきてしまった。
だって、仕事と女性が同じだなんて・・・。
ヨウスケくんは胸を張る。
「僕も毎日ドキドキしてます! 血液が流れてドクドクしてます。もっと発信のお手伝いができるように頑張りますね」
お兄さんは日焼けした顔で笑う。
「おう! 彼女ができたら、もっとドキドキするぞー」
「あは。そっちも頑張ります」
もっとできることはあって、もっと攻めることもできる。そんな言葉を最後にもらって、お兄さんに駅前まで送ってもらう。
「いただきまぁす」
お昼になって、このお店のぷりぷりの海鮮丼を味わった。誰かが採ってくれたお魚を、こうやっていただけることも、誰かの仕事があったから。だし、そこにドキドキがあれば、それは伝播するものかもしれない。美味しいのリレーだ。幸せだなぁ。
この町に来てなんとなく気づいたことが、2つあるなと深瀬は思う。
1つには、その人が、その人ならではの立ち位置を、持っていること。
2つめは、仕事中もそれ以外の時間も同じく、みんなまっすぐ、あったかくて、真剣なこと。
ちょうど女川に来る前、就職活動のサイトを検索しててちょっと辛くなったときに出会った言葉が、「ワーク・ライフ・バランス」じゃなくて、『ワーク・アズ・ライフ work as life』だったんだけど、それを地でいく人たちがここに居るなと思うのだった。
「ねえ、ヨウスケくん」
深瀬はホヤを頬張りながら話しかける。
「女川のみんなって、オープンなだけじゃなくて、熱もすごいでしょ。ちょっと、疲れちゃったりしないのかなあ?」
「うーん。もう、これが普通だからねえ。ああ、でもそうね、もしかすると、熱を灯し続けるような意識はあるのかも。一度、町から明かりが消えたことがあったから、自分がその明かりになるぞ、って、ちょっと思ってもいるのかなあ。それはさ、自分では見えないんだけどね」
ヨウスケはちょっと遠くを見やりつつ話す。
「大丈夫。僕には、ヨウスケくんの明かりが見えるよ」
「そっか。よかった」
「ヨウスケくんが、熱を灯そうと思うことって、自分を信じようと思うことと一緒だね」
深瀬はヨウスケの目を見て、力強く言った。
「ねえヨウスケくん。午後はちょっと、町を歩かない?」
「あれ、深瀬くんから誘うなんて珍しいね? もちろんだよ、行こう」
それから2人は、歩いて、話して、ドライブして丘の上まで上がって、
1日の仕事を終えた係留船と、静かな砂浜に、やわらかな西陽が差す頃まで。
やがてそれが、光の粒になって波に融けていくまで。
いろんな、いろんな話をした。
夕暮れになって、夕暮れが過ぎて、月明かりと星の瞬く夜になるまで。
たくさん、たくさん笑った。
未来ドキュメンタリー Vol.1
【 女川小説 / 女川少年 】
第7章に続く
LOCATION
女川で出会える場所と人
【鮮冷】
女川水産業の6次化により、世界に通用する商品を提供する目的で創業。特殊技術のCAS凍結加工で細胞組織を壊さず、獲れたてそのままの美味しさをキープした貝柱や刺身のほか、煮付けや瓶詰めはお土産にもぴったり。
【女川 お魚いちば 寿司・鮮魚おかせい】
その日に獲れた魚でネタが変わるワクワクに加え、鮮度もボリュームも◎。「女川来たら女川丼!」と町の人が口を揃える体験が待っている。ショップでは、魚や加工品の販売も多数。週末にはテラスで網焼きを味わえることも。
FUKASE & YOSUKE at NATSUHAMA / 夏浜
鳴り砂と呼ばれる砂浜と透明度の高い海では、町の人が夏の海水浴を楽しむ。コバルトラインのドライブ道中、森の中を抜け、高台から広がる海を見下ろしつつ、女川駅から約30分。そして見えてくる、穏やかな風景に心なごむ。